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「なつ漫」は時代の映し鏡
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 HOMEなつかしい漫画情報>軍国主義に利用された戦前漫画
軍国主義に利用れた戦前漫画
 穏やかな画風が主流だった戦前の漫画だが、時代は軍国主義色が強まり、次第に
 軍の広告的な役割を果たすことになる。
 それが漫画家の本意ではないにしろ、少年漫画までもが軍に利用されてしまった。

 漫画にとって、非常に暗い時代だった。
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 日本の漫画は、戦前と戦後で大きく様変わりしてくる。
 戦前は、全体に淡々とした展開で、わりと安心して読める
 漫画が多かった。
 そのため、アングルも目線でとらえた安定した構図が
 主流だった。


 ところが、戦後になって、手塚治虫が漫画に映画的な手法を
 使うようになり、ビジュアル面でもストーリーの面でも
 変化が出てきた。
 そうした手法が読者に受け入れられて現在に至っている。

 私などからすれば、「なつ漫」は戦後漫画、
 つまり「鉄腕アトム」や「月光仮面」であるが、
 当然、それ以前の漫画を懐かしく思う人たちも大勢いる。
 そうした人たちとにとっては、 戦前の漫画が「なつ漫」
 である。

 漫画の始まりは鳥羽僧正の鳥獣戯画だという説もあるが、
 そんなものを懐かしむ人はすでにこの世にいない。
 生きている人で漫画を子ども時代に漫画を読んだ経験の
 ある人は、大正末期くらいから昭和初期にかけてであろう。

 大正末期から昭和初期といえば、当時は挿し絵的なものや
 日本画的な感じの絵が、まだ子ども漫画に残っていた
 時代でもある。
 たとえば、宮尾しげをなどがそうである。
 毛筆的な線で、いかにも「日本」という感じがした。

 ところが、宮尾しげを以降になると、毛筆からペンの線に
 替わってくる。
 「昭和」というのは、ペンの時代の始まりだった。
 漫画の表現が、柔らかい線から、ペンによる西洋的な
 硬質な線に替わったのである。
 そして、世情も替わった。

 昭和になって、日本は、西洋を直視するようになった。
 明治時代に日清、日露の戦争を体験し、欧米列強と肩を
 並べたと錯覚した日本は、間違った方向に突き進んで
 しまったのである。
 結果は惨めな敗戦となって、大勢の人々を苦しめることと
 なった。
 そうした時代が、漫画のツールにも投影されていたことは
 興味深い。
 ちなみに、昭和初期は左翼運動が弾圧された時代であるし、
 軍国主義の予感が迫っていた頃である。

 そんな時代に、モボ・モガたちや、カフェー、ダンスホール
 などが新文化の拠点となった。
 そして、踊り子たちは当時の漫画家たちの格好の題材と
 なった。
 つまり、この時代はエロチシズムへの関心が、漫画に
 関わらず多くの文化の起点となっていたのである。
 おそらく、時代の空気に抑圧された一般大衆が、人間解放を
 求めた証だったのであろう。
 人間の本能というのは、エロチシズムへの関心と抑圧に
 対する開放である。
 そうした世情が、文化に反映されるのである。
 たとえば、田中比左良や小野佐世男などは、女性の肉体を
 誇張して描いていた。


 しかし、なんといっても戦前にもっとも多くの読者の支持を
 集めたのは、田河水泡の「のろくろ」である。
 「のらくろ」は、昭和6年の新年号から昭和16年の
 10月号まで、「少年倶楽部」に連載された。


 のらくろは野良犬の黒吉のことである。
 犬の軍隊である猛犬連隊に入隊したのらくろが、二等兵から
 どんどん出世していくという出世物語である。
 そして、ついに大尉となって除隊し、中国へ鉱山開発の
 探検に出かけていく。

 出世物語は、日本人が大好きな物語である。
 太閤秀吉の話が好きなのも、藤吉郎がどんどん出世して
 太閤殿下にまで上り詰めたからだ。


 ただし、「のらくろ」は当時の軍国調の世情を反映して
 おり、「少年倶楽部」そのものが、ある意味軍国主義の
 宣伝をしていたように思える。

 たとえば、戦争場面が多く、軍隊に関する知識を、
 子どもたちに提供するような内容が掲載されていた。
 まぁ、子どもの戦争ゴッコ、と一笑することもできるの
 だが、ちょうど日中戦争の時代だっただけに、様々な
 評価ができるだろう。

 ただし、漫画表現の質だけで判断するなら、田河水泡は
 ユーモアを表現するのが上手い作家だったと言える。
 なんとも言えない作品の中の「空気」と「間」が、私は
 好きだ。

 そういえば、私が中学1年生か2年生だったころ、
 文京区西片に住む伯父が私の家に遊びに来ていた。
 私の家は秋田にある。
 伯父は、私が漫画好きで漫画家になりたいと思っているのを
 知っていた。
 そして、こう言ったのである。

 「家の近くに田河水泡が住んでいるから、先生に紹介して
 あげよう。
 だから、なんでもいいから漫画を描け。
 持ってってやる」

 私は、喜んで鉄腕アトムを描いた。
 一生懸命に描いたと思う。
 その後、伯父からの連絡はまったくなかった。

 そして、十数年後、私が結婚することになり、伯父に仲人を
 頼もうと西方の伯父の家に出向いた。
 その時、伯父が田河水泡の話をした。
 「いや〜、あん時に描いてくれた漫画な、どっかへ
 いっちゃった」
 コノヤロ〜と思ったけど、仲人を頼みに行った手前、
 しょうがない。
 「いいっすよ、伯父さん。どうせオレ下手だったし」
 と、笑って見せた。

 本当は、田河水泡の感想がどんなだったか聞きたかった。
 そりゃあたしかに、中学生のつたない絵だったかも
 しれないが、私にすれば生まれて初めて「漫画家」と接点が
 持てるチャンスだったのである。
 とくに、秋田の辺鄙な片田舎に住んでいたから、東京の
 偉い漫画家の批評が聞ける、そう思っただけで
 夢心地だった。
 それなのに…。
 まあ、いいや…。

 当時、「のろくろ」と同じように、人気を博した漫画が
 あった。
 そのひとつが、島田啓三の「冒険ダン吉」だった。
 「少年倶楽部」の姉妹誌だった「幼年倶楽部」に
 連載されていた。

 ダン吉という少年が、南洋諸島のどこかの島に漂着して
 活躍する話である。
 漂着した島は文明が遅れており、様々な知識をもつ
 ダン吉少年が、現地の王様になって野蛮な島に文明を
 もたらすという設定である。

 現地の住民全員に背番号があり、野球のような発想かも
 しれないが、近年話題になっている国民総背番号制を
 想像させられる。
 島田啓三がそこまで未来を予見したわけではないだろうが、
 人間を番号で識別する発想は、当時の帝国主義的な考え方に
 通じるものがある。
 やはり、「のらくろ」同様、当時の世相を反映しているのが
 読み取れる。

 「タンク・タンクロー」も面白かった。
 坂本牙城が描いた漫画で、丸い鉄のボールにいくつか
 穴があいていて、その穴からチョンマゲが出たり、
 手足が出たりするのである。
 ときにはヘリコプターや武器まで出てくるという、
 摩訶不思議な漫画だった。
 あのドングリまなこが今でも思い出される。

 ちなみに、申し上げておきたいが、こうした漫画を
 私が子ども時代に、リアルタイムで店頭で買って
 読んだわけではない。
 それでは私が70歳以上の老人になってしまう。
 当年、昭和27年生まれの○○歳である。
 じつは、これらの漫画の多くは、後年私が求めて読んだ
 ものであって、もちろん、戦争体験者では決してない。

 ただし、私が子どもの頃、こうした漫画はまだ市中に
 たくさん出回っていたことは事実で、多くの漫画は
 まちがいなく子ども時代に読んでいる。


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