本文へスキップ

漫画制作で使われる業界用語を知っておくと何かと便利です。


HOME漫画制作で使われる用語の説明さ行>少年画報
漫画制作の用語「か行」
漫画を制作し印刷するまで、業界で使われる専門用語の知識は必須です。打ち合わせの段階から完成まで、専門用語は頻繁に使われます。そうした用語を詳しく解説いたします。
ぜひお役立て下さい。
少年画報
項目
1.「少年画報」とは
2.創刊時の時代
3.「少年画報」で成長した漫画家たち
4.月刊誌から週刊誌の時代へ
5.少年漫画の登竜門
6.「少年画報」に掲載された主な漫画作品
●「少年画報」とは
「少年画報」は1948(昭和23)年に少年画報社から創刊された月刊少年漫画雑誌です。「冒険王」や「少年クラブ」、「ぼくら」などと競合しながら、戦後の少年漫画雑誌として人気を博していました。

創刊当初は「冒険活劇文庫」といいました。1950(昭和25)年に「少年画報」という名称に改題されました。

項目に戻る

●創刊時の時代
戦後の子供たちの娯楽が少なかった時代でした。また、少年向けの漫画雑誌というジャンルが確立していませんでした。そのような時代に、「少年画報」や他の少年漫画雑誌が創刊されたのです。

出版社も初めての試みでしたし、掲載する漫画家たちにとっても月刊サイクルで連載するというのはほとんど経験がありませんでした。

項目に戻る

●「少年画報」で成長した漫画家たち
「少年画報」の掲載経験を積みながら、多くの漫画家たちが成長していきました。
「マグマ大使」(手塚治虫)や「怪物くん」(藤子不二雄)、「ロボタン」(森田拳次)などは大ヒットしました。

漫画が売れただけでなく、その後テレビでも放映されるようになり大人気となりました。

項目に戻る

●月刊誌から週刊誌の時代へ
しかし、これらの作品が終了すると、「少年画報」の売り上げは落ち込みました。さらに、時代は月刊漫画から週刊漫画の時代へと変わっていきました。

その流れを受けて、「月刊少年画報」は1969(昭和44)年から隔週刊の発行へと変わり、さらに1971年には、同社の「週刊少年キング」に合併されました。

そして、「少年画報」は休刊となったのです。

項目に戻る

●少年漫画の登竜門
「少年画報」は漫画家の登竜門となりました。「少年画報」から多くの漫画家がデビューし、大成していったのです。

たとえば、森田拳次や竹内つなよし、吉田竜夫、桑田次郎などがいます。いずれも、その後他紙で大活躍する漫画家たちです。

項目に戻る

●「少年画報」に掲載された主な漫画作品
「黄金バット」(永松健夫)
「サボテン君」(手塚治虫)
「赤胴鈴之助」(福井英一・武内つなよし)
「ビリーパック」(河島光広・矢島利一)
「まぼろし探偵」(桑田次郎)
「天馬天平」(堀江卓)
「わんわん航空隊」(わちさんぺい)
「スーパー太平記」(手塚治虫)
「わんぱく記者」 (寺田ヒロオ)
「KO小僧」(関谷ひさし)
「月影剣士」(植木金矢)
「豆パンチ」(わちさんぺい)
「白馬童子」(原作:巌竜司、作画:南村喬之)
「笛吹童子」(原作:北村寿夫、作画:益子かつみ)
「Xマン」(桑田次郎)
「スーパーヒューリー」(伊東章夫)
「鉄腕大学生」(植木金矢)
「平原児サブ」(武内つなよし)
「猿飛佐助」(原作:結城三郎、作画:南村喬)
「雪おやじ」(園山俊二)
「王アラジン」(石森章太郎)
「でこちん」(山根赤鬼・山根青鬼)
「0戦太郎」(辻なおき)
「ポパイ」(森田拳次)
「ムサシ」(望月三起也)
「ピストン牛若」(荘司としお)
「未来の国のケンジ」(桑田次郎)
「最前線」(望月三起也)
「忍者投手X」(荘司としお)
「荒鷲少年隊」(望月三起也)
「ばんざい探偵帳」(関谷ひさし)
「怪物くん」(藤子不二雄)
「マグマ大使」(手塚治虫)
「スペードJ」(桑田次郎)
「ロボタン」(森田拳次)
「猫目小僧」(楳図かずお)
「キックの鬼」(原作:梶原一騎、作画:中城けんたろう)
「コンピューたん」(ジョージ秋山)
「学園番外地」(永井豪)

項目に戻る
参考ページ→
著作権
原作
主人公
ヒーロー
ヒロイン
劇画
劇画工房
紙芝居
ぼくら
冒険王
少年倶楽部
持ち込み
冒険王
鉄腕アトム
鉄人28号
日の丸
少年
なかよし
りぼん
ちゃお
少女フレンド
少年画報

あ行 か行 さ行 た行 な行
は行 ま行 や行 ら行 わ行
HOME
漫画のご相談
takataka1123@office.nethome.ne.jp