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| 漫画を制作し印刷するまで、業界で使われる専門用語の知識は必須です。打ち合わせの段階から完成まで、専門用語は頻繁に使われます。そうした用語を詳しく解説いたします。 ぜひお役立て下さい。 |
| 俵屋宗達 |
| 項目 |
| 1.俵屋宗達とは 2.扇絵職人 3.宗達の仕事 4.低かった評価 |
| ●俵屋宗達とは 江戸時代初期の画家で、「風神雷神図」などを描いたことで有名です。通称は「野々村宗達」といいました。号には「伊年」や「対青軒」などがあります。生没年は不明ですが、1570年代前後の生まれであると推定されます。 ●扇絵職人 知名度抜群の俵屋宗達ですが、彼の人生には不明な点が多いことでも有名です。尾形光琳と並び称されるほど知名度は抜群であり、後世にも大きな影響を与えています。 宗達は京都で「俵屋」と呼ばれる絵画工房を営んでいました。工房では扇絵の屏風絵の下絵や紙装飾などを制作していたようです。仮名草子「竹斎」に、当時「俵屋」の扇が人気だった旨が記されています。 しかし、宗達は扇絵の制作だけでなく、多方面に画才を発揮していたのです。 ●宗達の仕事 1602(慶長7) 年5月には福島正則の命令で行われた「平家納経」の修復に関わっています。福島正則は豊臣秀吉に重用された大名です。宗達は「平家納経」の3巻の表紙と見返しなどの計6点を描いたようです。 さらに皇室からの制作依頼があり、後水尾天皇のために屏風3双を制作しました。 文化人として高名だった本阿弥光悦らの書巻に下絵を描いて嵯峨本の出版に関わり、一流の絵師として世間からも認知されていました。本阿弥家は刀剣の鑑定や研磨を実業としていました。書や陶芸でも一流だった本阿弥光悦でした。 また、尾形光琳・乾山兄弟の曾祖父・道柏の妻、法秀は光悦の姉でしたから、光悦と光琳は遠い姻戚関係にありました。 ●低かった評価 江戸時代後期から明治にかけて、俵屋宗達の評価は低かったのです。当時は尾形光琳の画才の評価が高く、宗達の作品の多くが海外に流出しました。しかし、大正期に入り、小林古径らの若い画家たちに強い影響を与えるようになると、宗達の評価が高くなりました。 そして、「風神雷神図」などが国宝に指定されたのです。「風神雷神図」は、風を吹き出して風雨をもたらす風神と、太鼓を叩いて雷鳴と稲妻をおこす雷神の姿を描いています。 また、水墨画にも優れた作品を残しています。「蓮池水禽図」には「たらしこみ」の技法を用いています。「たらしこみ」は、、生乾きの水墨にさらに濃淡の異なる墨を含ませて「にじみ」による偶然の効果を狙った描法です。 「蓮池水禽図」には朝霧のかかった池に浮かぶ蓮の花と、2羽のかいつぶりが泳ぐ様子を描いています。 |
| 参考ページ→ 浮世絵 十返舎一九 河鍋暁斎 岡本一平 安藤広重 狩野派 江の島鎌倉長短旅行 歌川国芳 山東京伝 黄表紙 蔦屋重三郎 菱川師宣 琳派 葛飾北斎 曲亭馬琴 たらしこみ 喜多川歌麿 恋川春町 平賀源内 朋誠堂喜三二 東洲斎写楽 英一蝶 俵屋宗達 |
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