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漫画を制作し印刷するまで、業界で使われる専門用語の知識は必須です。 打ち合わせの段階から完成まで、専門用語は頻繁に使われます。 そうした用語を詳しく解説いたします。 ぜひお役立て下さい。 |
江の島鎌倉長短旅行 |
項目 |
1.江の島鎌倉長短旅行とは 2.田口米作 3.ストーリー連載漫画 4.日本漫画の発展に貢献 |
●江の島鎌倉長短旅行とは 「江ノ島鎌倉長短旅行」は日本で最初の連載漫画だといわれています。 1896(明治29)年に「團團珍聞(まるまるちんぶん)」という雑誌に連載されました。 「團團珍聞」は週刊雑誌です。 主に時局に合わせた風刺画を掲載しており、「まるまるちんぶん」は「マルチン」と呼ばれていました。 時節に合わせ、自由民権運動の機運を煽ったりしていました。 項目に戻る ●田口米作 「江ノ島鎌倉長短旅行」の作者は田口米作です。 「桜川」と号していました。 1864(元治元)年4月6日に下野国都賀郡野田村に生まれ、1873(明治6)年に上京して中村晩山に絵を学びました。 その後、小林清親に入門しました。 やがて清親が東京絵画学校を開設して教授となると、田口米作は助教授を務めました。 そして1896(明治29)年、「團團珍聞」に「江ノ島鎌倉長短旅行」を発表しました。 項目に戻る ●ストーリー連載漫画 この漫画は、キャラクターを設定したストーリー仕立ての連載漫画でした。 米作以前の漫画は、浮世絵師たちが描いていたのでまるで絵画でした。 また、連載漫画ではなく、1コマの風刺絵画だったのです。 現在の新聞漫画のようでした。 そこに、米作の「江ノ島鎌倉長短旅行」という連載漫画が登場したのです。 項目に戻る ●日本漫画の発展に貢献 現在は漫画といえば連載漫画が主流ですが、当時の連載漫画は画期的でした。 キャラを立てて物語を展開しており、現在とまったく同じ手法の漫画制作でした。 こうした先輩たちの功績のお陰で、日本漫画は発展してきました。 「鳥獣戯画」の鳥羽僧正や「江ノ島鎌倉長短旅行」の田口米作は、日本漫画の発展に大きく貢献してくれました。 項目に戻る |
参考ページ→ 浮世絵 十返舎一九 河鍋暁斎 江の島鎌倉長短旅行 岡本一平 北沢楽天 |
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