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漫画制作で使われる用語の説明


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漫画制作の用語「あ行」
漫画を制作し印刷するまで、業界で使われる専門用語の知識は必須です。打ち合わせの段階から完成まで、専門用語は頻繁に使われます。そうした用語を詳しく解説いたします。
ぜひお役立て下さい。
安藤広重(歌川広重)
項目
1.安藤広重(歌川広重)について
2.歌川豊広に師事
3.役者絵から美人画、風景画
4.東海道五十三次
5.広重の青色
●安藤広重(歌川広重)について
「安藤広重」とも呼ばれた「歌川広重」は、1797(寛政9)年、江戸の火消屋敷の同心安藤源右衛門の子として生まれました。父源右衛門の旧姓は「田中」といい、安藤家の養子に入って妻を迎えていました。広重は源右衛門夫妻の長男でした。男児は広重だけで、他に娘が3人いました。広重は13歳で火消同心職を継ぎました。

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●歌川豊広に師事
広重は幼少のころから絵が上手く、15歳で初代歌川豊国の一門に加わろうとしました。ところが、残念なことに豊国一門が満員状態だったので断られてしまいました。そこで広重は歌川豊広に師事することにしました。

入門の翌年、「歌川広重」の名を与えられ、一遊斎の号を使用して「一遊斎広重」としてデビューしました。そして1821(文政4)年、広重は同じ火消同心の岡部弥左衛門の娘と結婚しました。

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●役者絵から美人画、風景画
広重は役者絵を描き、やがて美人画も描くようになりました。しかし、1828(文政11)年に師匠豊広が亡くなると、風景画を描くようになったのです。まもなく、画号を「一遊斎広重」から「一幽斎広重」と改めて花鳥図を描き始めました。その後、「一立齋広重」と改名し、「立齋広重」とも号しました。

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●東海道五十三次
やがて東海道を題材として、代表作「東海道五十三次」を制作しました。この作品で、広重は風景画家としての地位を確立したのです。それ以降、「東海道」シリーズを描き、「江戸名所」もシリーズ化して名声を仰ぎました。

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●広重の青色
歌川広重の数々の作品は、欧米でも話題となりました。とくに大胆な構図と青色の美しさが高く評価されました。実は、この青色は、ヨーロッパから輸入された新しい顔料だったのです。欧米では、この鮮やかな青色を「ヒロシゲブルー」と呼んだそうです。

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参考ページ→
浮世絵
十返舎一九
河鍋暁斎
岡本一平
安藤広重
北沢楽天
江の島鎌倉長短旅行
鳥羽僧正
狩野派
歌川国芳
山東京伝
菱川師宣
蔦屋重三郎
琳派
見返り美人図
曲亭馬琴
朋誠堂喜三二
平賀源内
たらしこみ
喜多川歌麿


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