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| 漫画を制作し印刷するまで、業界で使われる専門用語の知識は必須です。打ち合わせの段階から完成まで、専門用語は頻繁に使われます。そうした用語を詳しく解説いたします。 ぜひお役立て下さい。 |
| 東洲斎写楽 |
| 項目 |
| 1.東洲斎写楽とは 2.彗星の如き登場 3.写楽の作品 4.写楽の役者絵 5.写楽の正体 |
| ●東洲斎写楽とは 東洲斎写楽は江戸時代後期に活躍した浮世絵師です。優れた役者絵を描いて評判でしたが、正体の分からない謎の絵師としても有名です。 写楽が不思議なのは、なぜか10カ月ほどの短期間に役者絵などを描き、忽然と姿を消してしまったのです。 項目に戻る ●彗星の如き登場 写楽が登場した時代は、葛飾北斎や喜多川歌麿などの人気浮世絵師が活躍した1794(寛政6)年でした。写楽は「三世大谷鬼次の江戸兵衛」で有名です。 大きな顔の役者絵ですが、手が異様に小さく描かれています。絵を描いている方なら誰しも、素人っぽいと思うようなデッサンです。 項目に戻る ●写楽の作品 写楽は、蔦屋重三郎が版元となり、歌舞伎役者の大首絵を描いていました。大首絵というのは上半身を描いた絵のことです。 いきなり高価な役者絵を描いたことは驚きです。しかも、人物の背景に雲母と膠を混ぜが光沢のある絵の具を刷毛で塗ってあったのです。この雲母と膠の混ぜた塗料を「黒雲母」といいます。雲母を「きら」と呼びました。この手法により、役者を引き立たせていたのです。 写楽は、その後140数点の浮世絵を描き、忽然と姿を消してしまったのです。 項目に戻る ●写楽の役者絵 写楽が題材としたのは歌舞伎役者でした。歌舞伎は江戸の人気興行であり、観劇の後に庶民たちは役者絵を買い求めていました。普通であれば役者をカッコよく描くものですが、写楽は違っていました。極端にデフォルメした似顔絵だったのです。しかも、役者の個性をそのまま描いていました。 たとえば、3世市川高麗蔵の役者絵では、面長な顔と高いかぎ鼻、しゃくれた顎をそのまま誇張して描いています。とても漫画的で、個人的に大好きです。 写楽は、演目に登場する役者を、役柄だけでなく、役者の人間性まで描こうとしたのです。しかし、江戸庶民には写楽の絵は不評だったようです。 項目に戻る ●写楽の正体 写楽は、阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者・斎藤十郎兵衛だったのではないかという説が有力です。絵師ではなく能役者だったという説です。また、写楽が忽然と姿を消した直後に登場した浮世絵師・歌舞伎堂艶鏡が写楽だったのではないかと推理する人もいます。歌舞伎堂艶鏡は「3代目市川八百蔵の梅王丸」などを描いています。 さらには、写楽の高い画力から、正体は葛飾北斎や喜多川歌麿、あるいは歌川豊国ではないかとする説もあります。 浮世絵業界ではない分野で絵を描いていた、丸山応挙や谷文晁が写楽であろうとの説を唱える人もいます。「東海道中膝栗毛」を描いた十返舎一九ではないかと唱える人もいます。十返舎一九は写楽と同時代に蔦屋を版元としていました。蔦屋重三郎本人が写楽だったのではないという説もあります。 今のところ、能役者・斎藤十郎兵衛説が最有力です。斎藤十郎兵衛の実在が確認され、八丁堀に住んでいたことが分かっています。それにしても不思議な画家です。 項目に戻る |
| 参考ページ→ 浮世絵 十返舎一九 河鍋暁斎 岡本一平 安藤広重 狩野派 江の島鎌倉長短旅行 歌川国芳 山東京伝 黄表紙 蔦屋重三郎 菱川師宣 琳派 葛飾北斎 曲亭馬琴 たらしこみ 喜多川歌麿 恋川春町 平賀源内 朋誠堂喜三二 東洲斎写楽 英一蝶 |
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