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漫画制作事務所が日本漫画の歴史についてご紹介します。

戦前戦後の日本漫画
HOME日本漫画の歴史> 日本漫画の歴史03「なつかしい戦後の漫画」02
穏やかな画風が主流だった戦前の漫画だが、時代は軍国主義色が強まり、次第に軍の広告的な役割を果たすことになる。

漫画家の本意ではないにしろ、少年漫画までもが軍に利用されてしまった。

漫画にとっては暗い時代だったといえるだろう。

※この記事は、とんぼスタジオ代表高橋が20年前に漫画制作事務所を立ち上げたころに書いた記事です。ほぼそのままの内容で掲載してあります。
2漫画以外に娯楽がなかった時代
当時は、漫画以外に娯楽が少なかった。

テレビも現在のように普及しておらず、漫画が情報発信の拠点だった。

もちろん、新聞も読んでいたが、子どもにとって新聞は退屈である。

新聞か漫画、さあどっちをとる、と聞かれたら、ほとんどの子どもは「漫画」を選択したであろう。

それは現在でも同じだろうが、当時と現在の決定的な違いは、当時は娯楽が漫画以外になかったという点である。

男の子であれば、漫画とチャンバラとめんこが遊びの三原則だった。

それとビー玉かな。

だいたい、これで友だちの輪ができていた。

●赤胴鈴の助に熱中
だから、「赤胴鈴の助」が流行ると、私も友だちも、みんなが自分自身で赤胴を作った。

段ボールを切り抜いて作った胴に、絵の具やクレヨンで赤を塗った。

それを身に付け、刀の代わりに棒をベルトに差す。

これで本人は赤胴鈴の助になった気分になる。

そんな子どもが10人くらい集まり、一列に並んで、「剣をとっては日本一と…」と歌いながら練り歩くのである。

なぜか一列だった。

全員が赤胴を身に付けた鈴の助なのである。

そんな赤胴鈴の助が10人くらいで神社や稲刈り後の田んぼまで練り歩いてくると、そこでチャンバラが始まる。

腰に差した刀代わりの棒を振り回し、戦うのである。

「エイ、ヤーッ、トォーッ」。そして、必ず誰かが相手に向かって、「おまえは誰だ!」と、言うのである。

すると、相手は「あかどう、すずのすけだーッ!」と叫ぶ。

そして、しばらくチャンバラをしてから、「おのれ、竜巻竜乃進!」と叫びだす。

自分だけが赤胴鈴の助で、残りの友だちは、赤胴を付けているにもかかわらず、全員が敵役の竜巻竜乃進なのである。

最後は、「真空切り、受けてみよ!ウー、ヤー、トォーッ!」で終わるのである。

みんな、倒れかたも上手かった。

斬られてバッタリと地面に倒れる、その姿がないとチャンバラにならない。

●チャンバラのあとに
チャンバラが終わると、あちこちでビー玉やめんこが始まる。

「月光仮面」のマネもよくやった。

白いマントはなかったので、みんなが家にある風呂敷を首に巻いていた。

もちろんバイクもないから、「白いマントをなびかせて〜」というわけで、みんなよく走って、首に巻いた風呂敷をなびかせていたものである。

「二挺拳銃」もないから、水鉄砲で代用した。

「まぼろし探偵」が流行ると、みんながマフラーを首に巻いた。

「黄色いマフラー」ではなく、風呂敷や手ぬぐいなどもあった。

まぼろし探偵も月光仮面同様バイクに乗っていたので、みんながよく走り回った。

走り疲れると、集まってビー玉などに興じたものである。

●漫画は時代の映し鏡
いや〜、よかったなぁ。

あの頃の光景は、今でもじつによく覚えている。

村の様子まで、まるで走馬灯のように脳裏に甦ってくる。

友だちの顔、神社の景観、稲刈りの後のワラの匂い…、そうした楽しかった記憶が漫画とともに甦ってくる。

漫画は時代の映し鏡のようなものである。

「なつ漫」とは、そうしたものである。

「なつかしい」とは「楽しかった記憶」のことでもある。

つまり、当時は「楽しい」漫画が多かったのである。

ところが、最近の漫画は楽しくない。夢がないのかもしれない。

私たちが子どもの頃は、漫画が夢を運んできてくれた。

おそらく、情報化が進んでおらず、漫画雑誌で紹介されるすべてが新鮮に映ったからかもしれない。

しかし、情報化社会の現代にあっては、むしろ情報が溢れすぎて子どもたちが夢を持てない時代なのかもしれない。

どんな情報でも、知ろうと思えば知ることができる。

方法はたくさんある。

テレビや雑誌やインターネットを活用すれば、世界中のほとんどの情報は入手できる。

職業を検索すれば、自分の年収から将来の姿までわかってしまう。老後までわかる。

つまり、オギャアと生まれてからお墓に入り、3回忌、7回忌…と、死後のことまで何だってわかってしまう時代なのである。

夢などあるわけがない。

ましてや、漫画に描かれている世界が本当かウソか、そんなことどうでもよいのだが、子どもでもすぐに見抜いてしまう。

だから、描き手の漫画家も夢のある漫画を描かなくなる。

というより、雑誌社がそうした漫画を求めなくなる。

●雑誌社が求める漫画
もっとも、雑誌社というのは読者の人気度に合わせて作家に漫画の内容や画質を要求するわけである。

つまり、夢のない漫画を載せるということは、読者の要望でもあるわけだ。

だから、「なつ漫」を経験している私などにとっては、最近の漫画は読むのが苦痛ナある。

変な話だが、漫画家でありながら最近の漫画はほとんど読んでいない。

読めないのである。楽しくないから、読むのが苦痛なのだ。

おそらく、そんな漫画は「なつ漫」にはなりえないと思う。

今の子どもたちも、何十年後かには、「あの頃読んでいた漫画はこんなだった」と思い出すかもしれない。

それはそれで、「なつ漫」と呼べなくはない。

しかし、私たちの「なつ漫」とは密度が違う。

私たちが幼年期を漫画とともに過ごした記憶は、現代の子どもたちには到底味わうことの出来ない、楽しくてつい微笑んでしまうような素晴らしい記憶なのである。
 
本来、漫画とはそういうものであってほしい。

おじさんの願望である。

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参考ページ→
日本漫画の歴史
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