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穏やかな画風が主流だった戦前の漫画だが、時代は軍国主義色が強まり、次第に軍の広告的な役割を果たすことになる。 漫画家の本意ではないにしろ、少年漫画までもが軍に利用されてしまった。 漫画にとっては暗い時代だったといえるだろう。 ※この記事は、とんぼスタジオ代表高橋が20年前に漫画制作事務所を立ち上げたころに書いた記事です。ほぼそのままの内容で掲載してあります。 |
3漫画家という職業の選択 |
●漫画の内容だけは覚えている 当時は、みんな勉強しなかった。 子どもなのに、家の仕事を手伝っていたし、働き手として父親から労働要員に計算されている者までいた時代である。 勉強する前に家の手伝いが優先されたのである。 それでも漫画だけはしっかりと読んでいた。 勉強の記憶はなくても、あの頃読んだ漫画の内容は、今でもよく覚えている。 今どきの「おじさん」は、みんなそうだ。 |
40年たった今でも、よく覚えていることがある。 実は、私が漫画家になろうと決心したのは、6歳の園児のときだった。 6歳で将来の夢を描いていたのだから、早い。 しかし、動機は単純だった。 |
当時、開園したばかりの永慶保育園というところに通うことになり、その頃からすでに漫画が愛読書だった。 6歳ということで字はまともに読めなかったが、絵はわかった。 時流は月刊誌の時代で、私は「ぼくら」を愛読していた。 その中にカラーで掲載されていた、竹内つなよしの「少年ジェット」を見て、「おれは大きくなったらこんな絵を描く漫画家になる」、そう決心した。 よく考えたら、自分と同じように漫画を読んで単純に漫画家になろうと思った子どもたちは、全国に五万といたのである。 他に、職業を知らなかったともいえる。 |
ところが、6歳の時に描いた夢を追いかけ、28歳で少年画報社の「週刊少年キング」に連載を開始し、漫画家のまま現在に至っている。 まぁ、バカというか単純というか、他にやりたいことはなかったのかと思うのだが、考えたことがない。 |
●漫画家以外の選択肢 あ、一度だけある。 「鉄腕アトム」や「鉄人28号」などにはよく「博士」が登場していたので、博士になりたいと思ったことがある。 しかし、漫画にでてくる博士は肉体的に強くないので、積極的に憧れることはなかった。 まぁ、なろうと思っても博士にはなれなかったろうと思う。 博士になるには大学で博士号を取らなければならないから、勉強嫌いな私には絶対に無理だったろう。 なにしろ、もうずうーっと漫画の虜になっていて、博士は別として、漫画家以外の職業を考えたことがない。 |
小学校で、「将来の夢は」というと「漫画家」と書き、「尊敬する人物は」というと「手塚治虫」と書いた。 そのうち、性に目覚め、彼女が出きた。 ところが、私の話題は、いつも「漫画」のことばかり。 最初は彼女も面白がっているのだが、そのうち「漫画バカ」と思うようで、他の男に乗り換えてしまう。 そんなことが何度かあった。 |
●女子は苦手 本当は、漫画のことだけでなく、もっと別のことも話したかったのだが、どうも女性の前では思うように話せない性格なのだ。 それでつい、得意な漫画の話をしてしまう。 漫画以外に詳しい事がないものだから、よせばいいのに夢中になって話をする。 しかも、途中から、偉そうに講釈ぶって話しだす。 そんなことだから、彼女の方もいい加減飽きてくるのだ。 ああ、何度同じ苦い経験をしたことか…。 |
おっと、女の話はどうでもよいのである。 私がせっかく面白い漫画の話をしてやったのに、話の途中であくびをするような、漫画の「まの字」もわからない女など、こっちから願い下げでぃ。 女と漫画とどっちをとる、と聞かれたら、ももちろん「漫画」だぞ…。 |
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参考ページ→ 日本漫画の歴史 北斎漫画について 漫画の描き方講座 |
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