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漫画制作事務所が日本漫画の歴史についてご紹介します。

戦前戦後の日本漫画
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穏やかな画風が主流だった戦前の漫画だが、時代は軍国主義色が強まり、次第に軍の広告的な役割を果たすことになる。

漫画家の本意ではないにしろ、少年漫画までもが軍に利用されてしまった。

漫画にとっては暗い時代だったといえるだろう。

※この記事は、とんぼスタジオ代表高橋が20年前に漫画制作事務所を立ち上げたころに書いた記事です。ほぼそのままの内容で掲載してあります。

2のらくろ
しかし、なんといっても戦前にもっとも多くの読者の支持を集めたのは、田河水泡の「のろくろ」である。

「のらくろ」は、昭和6年の新年号から昭和16年の10月号まで、「少年倶楽部」に連載された。

のらくろは野良犬の黒吉のことである。犬の軍隊である猛犬連隊に入隊したのらくろが、二等兵からどんどん出世していくという出世物語である。

そして、ついに大尉となって除隊し、中国へ鉱山開発の探検に出かけていく。

●日本人は出世物語が大好き
出世物語は、日本人が大好きな物語である。

太閤秀吉の話が好きなのも、藤吉郎がどんどん出世して太閤殿下にまで上り詰めたからである。

ただし、「のらくろ」は当時の軍国調の世情を反映しており、「少年倶楽部」そのものが、ある意味軍国主義の宣伝をしていたように思える。

たとえば、戦争場面が多く、軍隊に関する知識を、子どもたちに提供するような内容が掲載されていたりした。

まぁ、子供の戦争ゴッコ、と一笑することもできるが、ちょうど日中戦争の時代だっただけに、様々な評価ができると思う。

●田川水泡
ただし、漫画表現の質だけで判断するなら、田河水泡はユーモアを表現するのが上手い作家だったと言えるでしょう。

なんとも言えないあの「空気」と「間」が私は好きです。

私が中学1年か2年だったころ、文京区西片に住む伯父が私の家に遊びに来ていた。

私の家は秋田にあった。

伯父は、私が漫画好きで漫画家になりたいと思っているのを知っていた。

そして、こう言ったのである。

「家の近くに田河水泡が住んでいるから、先生に紹介してやろう。だから、なんでもいいから漫画を描け。持ってってやる」

私は、喜んで鉄腕アトムを描いた。一生懸命に描いたと思う。

そして、十数年後、私が結婚することになり、伯父に仲人を頼もうと思って出向いていった。その時、伯父が田河水泡の話をした。

「いや〜、あんときに描いてくれた漫画な、どっかへいっちゃった」

コノヤロ〜と思ったけど、仲人を頼みに行った手前、しょうがないから、
「いいっすよ、伯父さん。どうせオレ下手だったし」
と、笑って見せた。

本当は、田河水泡の感想がどんなに聞きたかったことか。

そりゃあたしかに、中学生のつたない絵だったかもしれないが、私にすれば生まれて初めて「漫画家」と接点が持てるチャンスだったのである。

とくに、秋田の辺鄙な片田舎に住んでいたから、東京の偉い漫画家の批評が聞ける、そう思っただけで夢心地だった。
それなのに…。

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参考ページ→
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