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漫画制作事務所が日本漫画の歴史についてご紹介します。

戦前戦後の日本漫画
HOME日本漫画の歴史> 日本漫画の歴史04「貸本漫画」01
穏やかな画風が主流だった戦前の漫画だが、時代は軍国主義色が強まり、次第に軍の広告的な役割を果たすことになる。

漫画家の本意ではないにしろ、少年漫画までもが軍に利用されてしまった。

漫画にとっては暗い時代だったといえるだろう。

※この記事は、とんぼスタジオ代表高橋が20年前に漫画制作事務所を立ち上げたころに書いた記事です。ほぼそのままの内容で掲載してあります。
4貸本漫画
貸本屋が登場したのは昭和21年ごろだった。

戦前にも貸本は扱われていたが、貸本だけの専門店は戦後になってからである。

昭和21年に手塚治虫の「新宝島」が発売され、当時40万部売れたというから驚きである。

それ以後、「赤本漫画」のブームが到来する。

私が生まれた昭和27年に、永島慎二や辰巳ヨシヒロがデビューしている。

当時まだ15歳と17歳である。

翌年にはつげ義春や佐藤まさあきやさいとうたかを、石川球太、楳図かずおがデビューし、その後、ちばてつや、白戸三平、水木しげる、川崎のぼる、水島新二らがデビューしている。

そうそうたる面々である。

●貸本漫画家たちが戦後の漫画ブームに貢献
こうして、貸本でデビューした漫画家たちが、戦後の漫画ブームを作り、日本の漫画を今日まで発展させてきたのである。

今では、世界中から、「日本で誇れる文化は漫画である」とまで言われるようになった。

貸本漫画が定着したのは、おそらく昭和30年ごろからであろう。

●劇画の登場
そして、昭和31年4月には、大阪の日の丸文庫から、「影」という雑誌が創刊された。

この雑誌に「劇画」という、リアルっぽい漫画が根づくようになり、次第に読者を獲得していくのである。

さいとうたかを、佐藤まさあき、辰巳ヨシヒロなどが中心となり、やがて辰巳ヨシヒロが自分の作品を「劇画」と名づけ、自分の引ききるグループを「劇画工房」と称した。

●従来の漫画手法の発展
同じころ、こうした劇画とは別に、従来の漫画手法を発展させた手塚スタイルも、貸本屋の重要な商品だった。

たとえば、「赤胴鈴の助」や「イガグリ君」「鉄腕アトム」「鉄人28号」「「ビリー・パック」などは、漫画雑誌に連載され、単行本として古本屋でも売られていた。

いずれも懐かしい漫画である。

ただ、こうした貸本屋のブームはそう長くはなかった。

ピークは昭和31年ごろだったであろう。

●劇画グループが東京へ
彼ら劇画グループは、大阪から東京へとやって来るが、なかなか東京の出版社には受け入れられなかった。

たしかに、パッと見は「下品」で「ヘタクソ」である。

おまけに登場人物の顔がみんな似ていて、キャラが判別しにくかった。

彼らは国分寺のアパートに住み着いたようだ。

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参考ページ→
日本漫画の歴史
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