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穏やかな画風が主流だった戦前の漫画だが、時代は軍国主義色が強まり、次第に軍の広告的な役割を果たすことになる。 漫画家の本意ではないにしろ、少年漫画までもが軍に利用されてしまった。 漫画にとっては暗い時代だったといえるだろう。 戦後になると、手塚治虫の登場と彼に刺激を受けた漫画家たちが、新たに創刊された子ども漫画雑誌で活躍していくことになる。 ※この記事は、とんぼスタジオ代表高橋が20年前に漫画制作事務所を立ち上げたころに書いた記事です。 ほぼそのままの内容で掲載してあります。 |
6 子ども漫画 |
●植木金也 子どもの頃に大好きだった漫画家に、植木金也がいる。 漫画家というより、挿し絵画家としての印象が強い。 当時の漫画雑誌には、漫画のほかに児童小説も掲載されていた。 そして、山川惣治の「少年王者」や「少年ケニヤ」も児童小説の挿し絵として掲載されていたのである。 同じように、時代劇の挿し絵の名人が植木金也だったのである。 |
植木金也の描く「忠臣蔵」や「鞍馬天狗」の挿し絵が大好きだった。 もちろん漫画もあった。 リアルなペン画だった。 子供心に植木金也は憧れの存在だったのだ。 彼は「小説沖田総司」の挿し絵も描いていた。 友人と「なつ漫」の話をしていて、「どんな漫画家が好きだった?」と聞かれたら「植木金也」と答えるようにしている。 そう答えると、たいていの友人は、「お、いいねー」と言ってくれた。 |
もっとも、みんな漫画家の友人だから植木金也を知っていたからである。 ところが、彼を知らない人が多い。 というか、ほとんどの人が植木金也を知らなかった。 だから、「植木金也」の名前を出すときには、相手を考えて話さないといけない。 だけど、マニアにとって、植木金也という漫画家は憧れの存在だったのである。 |
最近は、時代劇が少なくなったが、私が子どもの頃にはたくさん掲載されていた。 「赤胴鈴の助」や「矢車剣の介」や植木金也だけでなく、懐かしい時代漫画はたくさんある。 時代物を得意とした漫画家には、たとえば白土三平や小山春夫、横山光輝、小島剛夕、平田弘史などでいた。 |
●白土三平 白土三平の描く時代物は圧巻だった。 力強いGペンのタッチと個性的なキャラクターの描き方、さらに忍者の生き様を描いた作品群は、他の漫画家の追随を許さないほど際立った存在だった。 白土三平は時代物をたくさん描いた。 代表的な作品には、「忍者武芸帖」や「サスケ」「ワタリ」「狼小僧」「忍法秘話」「カムイ伝」などがある。 子どもの頃は、「サスケ」と「ワタリ」が大好きだった。 |
「サスケ」で、主人公サスケが使う「猿飛の術」や「微塵がくれの術」は、自分もやりたいと思って練習したことがある。 もちろんダメだった。 母を失った少年忍者サスケと父大猿が、様々な敵と戦いながら、サスケが成長していくというストーリィだった。 忍術の解説などがあってものすごく参考になった。 |
大学時代には「カムイ伝」にはまった。 「ガロ」に連載された漫画で、身分や差別を底流としたスケールの大きな描き方は圧巻だった。 百姓の長助が主人公で、江戸時代の身分制度に挑戦していく姿には感動した。 「カムイ伝」の執筆が、ちょうど安保闘争の時期と同じころだったこともあり、学生たちの共感を得た。 学生たちが社会の矛盾に対して抗議する姿勢が、長助や仲間たちの行動と共通するものがあったからであろう。 |
「カムイ伝」に登場する長助の奥さんの弟の名前が「カムイ」だった。 そのカムイを主人公として、別の雑誌で「カムイ外伝」として連載していた。 面白い作りだったと思う。 カムイは忍者で、時々義兄の長助を助けたりする。 カムイの得意は「飯綱落とし」といって、プロレスのバックドロップと同じような技だった。 |
そういえば、「抜忍」という言葉も白土三平の漫画で覚えた。 カムイは抜忍だった。 「上忍」「中忍」「下忍」と、忍者の世界も身分がきっちりと決まっていた。 上忍は立派な家に住み、下忍をこき使っていた。 現場で戦って死ぬのはいつも下層の下忍だった。 カムイも、抜忍として群れを外れる前は下忍だった。 社会の構造って、いつの世の中も同じということか。 そして、こうした身分制度が、「カムイ伝」のベースにあったのだろう。 |
たしかに、白土三平はスゴイ漫画をたくさん描いてきた。 しかし、彼はどうやら自分でペンを入れていなかったようだ。 「サスケ」や「ワタリ」の途中までは白土のペンだが、「ワタリ」の途中からペンタッチが換わったのでわかる。 おそらく、「忍者武芸帖」のペンが白土のペンだろう。 「サスケ」や「ワタリ」の途中までは同じようなペンタッチだった。 たぶん、白土三平が主催した「赤目プロ」の誰かだろう。 思い当たるとすれば小山春夫である。 彼は自分の作品を雑誌で連載していたから、彼のペンタッチはよくわかる。 白土三平と瓜二つだった。 |
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参考ページ→ 日本漫画の歴史 北斎漫画について 漫画の描き方講座 |
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