本文へスキップ

漫画制作事務所が日本漫画の歴史についてご紹介します。

戦前戦後の日本漫画
HOME日本漫画の歴史> 日本漫画の歴史05「新聞漫画」01
穏やかな画風が主流だった戦前の漫画だが、時代は軍国主義色が強まり、次第に軍の広告的な役割を果たすことになる。

漫画家の本意ではないにしろ、少年漫画までもが軍に利用されてしまった。

漫画にとっては暗い時代だったといえるだろう。

※この記事は、とんぼスタジオ代表高橋が20年前に漫画制作事務所を立ち上げたころに書いた記事です。

ほぼそのままの内容で掲載してあります。
5新聞漫画
「なつ漫」は、基本的には子ども漫画である。

ところが、新聞に掲載され、子ども含めて多くの大衆に支持された4コマ漫画や政治漫画があった。

ここでは、これらを総称して「新聞漫画」と呼ぶことにする。

そうした、新聞漫画について触れてみたい。

人によっては、政治漫画は時流に準じて世評をひねっただけの漫画形式に過ぎないと感じている。

政治漫画の多くは1コマ漫画だった。

私に言わせれば、こうした1コマ漫画は漫画の原点なのである。

小説にしろ詩歌にしろ、時節に鑑みて自分の気持ちや論理を展開している。

漫画も同じである。

戦争中、唯一廃刊せずに継続した漫画誌は、その名もズバリ「漫画」という雑誌だった。

もうちょっと工夫した雑誌名が良かったのではないかと思うが、当時は「漫画」がそれほどメジャーでなかったということであろう。

この雑誌「漫画」のメインの著者は近藤日出造たちだった。

近藤日出造たちで構成された「新漫画派集団」は、戦後でも第一線で活躍したのである。

そして、「新漫画派集団」は「漫画集団」と改称された。

しかし、彼らは戦争中、「やれ鬼畜米英」などと描きたて、軍当局の旗振りのような役目を果たしていた。

国民を鼓舞し、当局の意に介さない民衆を叱咤するような描き方だった。

ところが、敗戦後まもなく、彼らは「平和と民主主義」をモットーとした漫画に鞍替えしたのである。

見事といえばよいのだろうか。

それとも呆れたといえばよいのだろうか。

それまでの自分たちの主義を捨てたのである。

「自分」という精神の柱はいったいどこにいってしまったのであろうか。

まぁ、彼らの漫画の技術は認めるが、心までは素直に容認できない部分がある。

おそらく、終戦間もない時期で物不足の時代だったから、食べるために必死だったのだと思う。

しかし、そのために漫画家としての心を折ってもよかったのだろうか。

)(
参考ページ→
日本漫画の歴史
北斎漫画について
漫画の描き方講座
HOME
漫画のご相談
takataka1123@office.nethome.ne.jp
※お見積りは無料です